2017年6月4日日曜日

英語教育の思い出

中1の息子が、英語の勉強でさっそくつまずいています。何をどう勉強したらよいか分からないことに加えて、先生があまり好きではないそうです。

思い返してみれば、私は中学校で初めて英語を習い始めたときからその教科が得意でしたが、最初から先生に恵まれたわけではありませんでした。1年生、2年生のときの先生は、まるで人気のない年配の先生だったし、今考えても、何か授業に特別な工夫がされていたわけではなかったような気がします。


しかし、3年生のときの先生は、素晴らしかった。授業でいろいろなチャレンジがあり、できなかった生徒はできるようになり、もともと英語が得意な生徒はさらに自信をつけることができた。いつも授業の最初に、“暗唱”のコーナーがあって、宿題として覚えてきなさいと言われた教科書のパートを挙手で発表するのだけど、いつも、できのいい生徒が2,3人手をあげて暗唱して終わりのところを、あるとき、たまたま簡単な暗唱文だったのか、5,6人が挙手したのをきっかけに、「今日はみんなすごいな。他にも暗唱できる人?」と言ったら、少しずつ、少しずつ手があがり、その暗唱を聞いているうちに、全く覚えてきていなかった生徒も英文を覚え、結局、授業まるまる1時間をつぶして、クラスの生徒全員が暗唱をした、ということがあったのを、今、思い出しました。

倉橋孝光先生。「タカミツという名前は外国人には呼びにくいから、僕はいつもTurkyと呼んでくれと言っている」とおっしゃっていたエピソードも覚えています。

この先生が、私の英語が得意なこと、英語の勉強に熱心なことを見抜いて、定期考査の前に、「テスト問題を作ってみろ」と言ったことがありました。テスト範囲の中から、どこが大事で、何をテストにしたらいいか考えて、模擬テストを作ってみろ、と仰ったのです。

B4の紙を使って、私は手書きで(そのころは、先生のテストも手書きでした)テストを作りました。たぶん、100点満点で配点もしたと思います。

先生に提出したそのテストを、先生はクラスのみんなに配ったのでした。一切、修正せずに、「柴田(私の旧姓です)の作ったテストだから、練習だと思って解いてみろ」と。

配られたなんちゃってテストを、クラスメイトが解いてみたかどうかは知りません。その方法で、クラスの平均点に影響があったのかどうかも分かりません。

ただ、私の中には、私の英語に対する知識や情熱が認めてもらえた、という強烈な印象が残りました。それが自信と誇りになり、もっと英語を勉強しよう、という気持ちになったのは事実です。

今日は、6月13日(火)の新聞記事を使った読解力養成講座のための小テストを予想して、ここで共有しようと思ったのですが、なんでそんなことを考えたか、ということを説明するための前置きが長くなりすぎました。(しかも、この記事を書くまで、クラスの日を6日だと勘違いしていたので、まだ日があるということも判明しました・・・。)

中学校1年生で初めて外国語を勉強し始めた日から今日までが、ずっと繋がっているという個人的体験でした。お粗末。

(「英語教育」で記事を読んでくださった方、大修館書店の雑誌をぜひご講読ください。)